光明院
 「荻窪」という地名の発祥となったお寺です。
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▼くるくる回して見てください
(“Googleマップで見る”で全画面表示が可能)
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■オリジナルレポート
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光明院さんは、「荻窪」という地名の発祥となったお寺です。
開基は現在から約1300年前の和同元年(708年)という、大変に歴史のある真言宗のお寺です。
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お寺の縁起が記された石碑に、仏像を背負った遊行中の僧が、この地で急に仏像が重くなり歩くことができなくなったので、きっとこの仏像はこの地に縁があるのだと思い、付近に生えていた荻で草堂を作って安置したのが始まりとあるそうです。
今のお寺にも、敷地の一角に荻が群生しています。
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立派な鐘楼堂もあります。
この鐘楼は、私小説作家の上林暁(かんばやし あかつき)先生が、「光明院の鐘の音」という随想を文芸春秋に発表して、有名になりました。
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こちらは「泣きべそ地蔵」です。
小張吉兵衛さんが両親と奥さんを相次いで亡くし、悲しみを紛らわすためにお地蔵様を建てたところ、だんだん悲しみの顔にかわり、ついに泣きべその顔になったと言われています。
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近くでお顔を確認してみると。
なるほど確かに、泣きべその顔に見えますね。
(耳より情報)
光明院さんの入り口は早朝や夕方以降は大きな鉄の扉が閉まっていますが、その横にある通用門は開いていて、24時間いつでも通り抜けができるようになっています。

昔は境内を通り抜けられたのですが、それだとお寺の行事の運営に色々と支障があったようで、今は境内の脇を抜けられるように、歩行者用の通路が整備されています。
四季折々の花が楽しめるように植栽も整えられていて、たまに植木屋さんが入って剪定しています。
中央線の線路のすぐ脇を通り抜ける道は、歩行者と自転車のみが通行可能です。

とても便利な抜け道なのですが、電車があまりにも近くを通るので、たまに怖く感じます。
光明院さんの創建は奈良時代以前と伝わり、杉並区の中でも屈指の古刹ですが、実は中央線(当時の甲武鉄道)の線路を通すときに、境内が線路の上に位置したため北側に移設しています。
結果として、墓地と本堂が東西に走る中央線の線路を境にキレイに分断されているという、大変珍しい立地のお寺となっています。

お墓参りをする際には、本堂で受付をしてお水やお花を受け取り、その後に中央線の下を通る地下道(光明院ガード)を通り、線路の向こう側にある墓地に向かいます。
お盆の時期にはお墓の後ろに立てる縦長の木片(塔婆)を持った人が、昼間でも薄暗い地下道を歩いていて、「何事?」と少し驚いてしまいました。

ある日、つがいのカルガモが駐車場に居るのを発見しました。
近くに水場もないのに不思議(アスファルトが冷たくて気持ちいいのかな?)。
滅多にないことなので、この写真が撮れたこと自体、ちょっとした奇跡かも。
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■基本情報
[電] 03-3390-4647 |
[所] 東京都杉並区上荻2-1-3 |
[関連サイト] 光明院 |
■地図(“拡大地図を表示”からルート検索が可能) |
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