荻窪散歩 in Tokyo | ![]() ![]() |
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荻窪調査日記▼Episode8:荻窪の南北分断事情について今回は、荻窪の真ん中辺りを東西に走るJR線を境とした南北分断についての話題です。 荻窪は、中央線の駅が高架化されていないため線路が東西の横軸に走り、南北に分断されていると言われます。 そのため“南と北を行き来しない住民は、それぞれにどんなお店があるのか案外知らない”と評されることも。 でも個人的には、徒歩であれば南北の行き来には全然困りませんし、南と北を行き来しないなんてことはないのでは?と考えます。 それに、中央線が高架化されていないことって、荻窪にとって、そんなにマイナスなことなのでしょうか。 今回は、荻窪では割と話題になることも多い、中央線による南北分断の事情について取り上げます。 中央線では、沿線の人口が増えて通勤客が急増したため、混雑緩和のために中野~荻窪間で高架・複々線化が進められることになり、1961年から高架化の工事が着工されました。 実に260億円もの費用をかけた高架化の工事は1966年に完成し、踏切のない安全性の高い中央線の高架化が実現されました。 ところが、荻窪駅はその高架化から取り残され、地上駅のまま残りました。 理由は、1925年に現在の桃井3丁目付近(現:桃井原っぱ公園)に工場を構えた中島飛行機でゼロ戦などの軍用機用エンジンが製造されており、青梅街道を使って軍事物資を早急に輸送するためには中央線の踏切横断(「荻窪駅大踏切」と呼ばれた踏切)がネックになるとの理由から、1942年に着工され1944年に米軍の空襲で破壊されて中断していた天沼陸橋の建設が、1945年の終戦後にやはり不便だということで再開されて1955年に竣工されたためです。 天沼陸橋はちょうど中央線の高架化とぶつかる位置にあり、荻窪駅の高架化は見送られました。 結果、杉並区内にある中央線の4駅(西荻窪、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺)の中で唯一、地上駅のまま残ったのが荻窪駅となりました。 これは見方を換えれば、高架化されたその下の空間でさえも使い、少しでも土地を有効活用しようとする都市部の風潮の中にあって、「贅沢にも地上駅のまま残ったのが荻窪」と言い換えることもできます。 高架化されてしまった杉並区内の他の3駅ではもう絶対に見ることのできない、荻窪駅が開業した130年前(1891年)を偲ばせるホーム上から見る線路の風景が、今もそこにあります。 駅が地上駅のまま残ったことにより、荻窪駅の西口から南側に出ていく道は、西荻窪方面に向かう際に(視線を遮る高架もなく)広い空が感じられて見晴らしが良く、目の前を行き交う電車に荻窪の歴史を感じ、思いを馳せながらウキウキした気分で、前向きな気持ちで散歩を始めることができます。 線路脇の道路では「電車を見たい」と言う子供を抱っこして、子供と一緒に電車を眺める親子連れの姿もよく見かけます。 この地上駅を含む開放的な風景が「荻窪駅前の魅力」であり、荻窪駅を起点として荻窪散歩に出発する際に感じる心地良さの一因となっています。 また、荻窪はもともと、「西の鎌倉・東の荻窪」と称される人気の別荘地で、多くの文化人が住んでいた歴史があります(ここでの東西は、神事である相撲が北の上座から南を向いて座る帝の前で行われた東西の戦いであったことになぞらえたものと推察されます)。 古都・鎌倉(西の横綱)の駅ももちろん地上駅で、鎌倉駅前には歴史が感じられる景色が広がり、今も多くの人々に愛されています。 対する荻窪(東の横綱)も地上駅として残ったことで、鎌倉に負けないくらい昔ながらの風情が残り、それが多くの人々に愛される遠因となっているのではないでしょうか。 地上駅なので、ホームに居ると駅前の建物なども良く見えます。 特に、総武線ホームの中ほどから正面に見える「三菱東京UFJ銀行 荻窪支店」などは、世界的に有名な建築家である安藤忠雄氏が設計した建築物で、通勤で通う人は毎日、そんな素敵な建物を眺めながら電車を待つという、贅沢な時間を味わえます。 荻窪は、中央線で南北に分断されているほかに、青梅街道や環状8号線などの大きな道路でも分断されており、線路や道路を隔てると雰囲気が全く異なると言われることもあります。 それは言い換えれば、一つの地域でいろいろな雰囲気を楽しめるということで、散歩するにはもってこいの環境ですよね! さあ今日も、素敵な地上駅である荻窪駅から、荻窪散歩を始めてみませんか? ■動画情報 |
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