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荻窪調査日記


Episode11:「教育環境」に恵まれている荻窪

「教育環境」に恵まれている荻窪
今回は、荻窪の恵まれた教育環境についての話題です。


子供を持つ親にとって、「近くに良い学校があるかどうか」は、住宅を選択する際の重要な条件の一つとなります。
できれば歩いていける距離に良い学校があれば最高で、そうでなくとも、自転車やバス、電車に乗っても数駅で通えるような距離に良い学校があれば言うことはありません。
昨今のように予測不可能な大規模な自然災害やパンデミックなど、未知の出来事が起こった場合でも、自宅からほど近い場所に学校があれば、親としては安心できます。

荻窪は、気軽に通学できる範囲という枠で考えてみると、早稲田、法政、明治、中央、日大、専修、国学院など、有名大学の付属校へのアクセスの良さが際立っています。
2020年に改訂された学習指導要領で「生きる力」を身につけることに重点を置いたカリキュラムに変わり、その一新された教科書で学んだ初めての世代が大学受験を迎える2024年の大学入試改革のタイミングで「どうなるかわからない」という不安から、それらの有名大学の付属校の人気が高まり、受験者が急増しています。

もともと荻窪をはじめとした杉並区は教育熱心な土地柄で、学習塾も多いです。
日本でナンバーワンの座を競う学習塾「SAPIX」発祥の地は荻窪ですし、西荻窪に本拠地を置く「みすず学苑」も有名です。
その他にも、有名塾の荻窪校がたくさんあり、子供が勉強をしたいと考えた際には、塾選びで困ることはないでしょう。
なぜ荻窪周辺は教育熱心な地域で、多くの有名大学の付属校が集まるような地域となったのでしょう。
その理由を知るには、歴史を紐解いてみる必要があります。

もとは武蔵野の農村だった荻窪に、甲武鉄道(現在の中央線)が開通して荻窪駅が開設され、日本の近代化を担う人々が東京市内に家を持ちながら、大気汚染が深刻な東京市街とは違い空気がきれいな荻窪に別荘を所有し始めました。
「今の軽井沢のような別荘地」となった農村の荻窪が人気の住宅地となる転機は、大正12年(1923年)9月1日に起こった関東大震災がきっかけでした。
関東大震災は神奈川県西部から相模湾を震源としたマグニチュード7.9の地震で、死者・行方不明者10万人以上、全壊家屋10万件以上という、近代日本の首都圏では最大規模の震災被害が発生しました。
東京市内は関東大震災による甚大な被害で深刻な住宅不足となり、郊外へ移住することが流行となりました。
その際、地盤の沈下・地震の揺れ・液状化・大規模な水害などの災害リスクが小さく、盤石な地盤の武蔵野台地の端に位置する高台にある荻窪が、実際に震災の被害も軽微だったことから「関東大震災にもびくともしなかった安心して住める地域」として注目され、農村の別荘地から人気の住宅地へと急激に変貌していくこととなります。
大正末期から昭和初期にかけて、のちに高級住宅地と言われる田園調布などと同様に、現在の荻窪駅周辺から井荻駅周辺までを第一工区から第八工区に分けての広範な土地区画整備事業が行われ、単一の町村が行った事業としては全国屈指の規模(約880ヘクタール)の美しく整然とした碁盤の目のような区画が生まれたことも人気に拍車をかけました(荻窪を散歩すると、現在でも遠くまで一直線に見渡せる道路が幾つもあり、往時の区画整備の成果を感じることができます)。
著名人や文化人もたくさん住むようになり、「荻窪か鎌倉か」と言われるくらいの文化住宅地も生まれました。
そして、そういった雰囲気に惹かれるように、荻窪に続々と住居を構えた多くの住民は、東京市に通う新しい中産階級「サラリーマン」でした。

徐々に層が厚くなる中産階級「サラリーマン」の間では教育熱が高まり、近くに良い学校があるかどうかが住宅選択の重要な条件となりました。
そんな折、昭和10年度卒業生の「上級学校入学者」が日本一として新聞に報道されたのが、天沼にあった杉並第五尋常小学校(現:天沼小学校)でした。
報道を受けて越境入学希望者が殺到し、教育に熱心な中産階級「サラリーマン」の間で住宅地としての荻窪の評価がさらに高まりました。
加えて昭和12年には、国民に人気のあった近衛文麿が総理大臣になると、政治の場としても利用された荻窪の別荘「荻外荘」(てきがいそう)の文字が連日のように新聞に掲載され、高級な住宅地のイメージとともに荻窪の名を全国に広げました。

ある程度の所得があり東京市に通う中産階級「サラリーマン」は高学歴者である場合が多く、それが親から子へと脈々と受け継がれ、高学歴な住民がますます増える好循環となり、現在も続いているのが荻窪と言えそうです。
高学歴な住民は教育熱が高く、しかし自分の子供には自らのように受験で苦労はさせたくない(多少お金がかかっても)という、子を想う親ごころがあり、そこに有名大学の付属校のニーズが生まれて、それらの学校が次々と開設されるに至ったというのが、現在の荻窪を取り巻く「恵まれた教育環境」の背景にあると考えています。
こういった「恵まれた教育環境」は一朝一夕で成り立つものではなく、まさに「荻窪ならではの歴史が生み出した貴重な財産」とも言えるでしょう。



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