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荻窪調査日記


Episode12:「流転の王妃」嵯峨 浩(ひろ)

「流転の王妃」嵯峨 浩(ひろ)
今回は、「流転の王妃」として有名な女性、嵯峨 浩(ひろ)さんの話題です。


清朝最後の皇帝で、その生涯を描いた映画のタイトル「ラストエンペラー」として有名な愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の実弟、溥傑(ふけつ)に嫁ぎ、世間の注目を集めた女性が嵯峨 浩(ひろ)です。
侯爵令嬢の実話に基づいたドラマチックで波乱万丈に満ちた自伝「流転の王妃」はベストセラーとなり、映画化もされました。
嵯峨侯爵邸は当時、杉並区大宮町1556番地(現在の杉並区立郷土博物館の所在地)にあり、浩(ひろ)は嵯峨侯爵家(公家華族)の長女でした。

日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」の新皇帝となった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)には子供が居なかったことから、日本と満州国の一体化を狙っていた関東軍(旧日本陸軍)は、実弟である溥傑(ふけつ)の花嫁を日本の公爵・華族から探し、その子供を次の皇帝に据えようと目論みました。
ちょうど長女の縁談相手を探していた嵯峨家(公家華族)の令嬢、浩(ひろ)が年齢的にも釣り合うと目に止まり、縁談話が進むことに。
明らかな政略結婚に当初は乗り気ではなかった浩(ひろ)ですが、日本に留学していた頃に杉並・荻窪の天沼で暮らしていた溥傑(ふけつ)は実際に会ってみると、頭脳明晰で人柄もよく、次第に惹かれることとなりました。
結婚式は軍人会館(現在の九段会館)で執り行われることとなり、十二単(じゅうにひとえ)に身を包んだ浩(ひろ)を乗せた車を含む当時としては見たことがないほどの長蛇の車列が、旧嵯峨家(現在の杉並区立郷土博物館がある場所)から出発しました。
沿道には地元の小学生や町内の人々が立ち並び、日本と満州国の両方の旗を振って日満友好の架け橋となる結婚を祝し盛大に見送りました。
その盛大な見送りは後に、浩(ひろ)が自伝で「沿道の風景は、はっきりと瞼(まぶた)に焼きつき、終生私への無言の励ましとなった」と語るほどでした。

結婚した二人には1938年に長女、1940年に次女が誕生して幸福の絶頂期を過ごしました。
溥傑(ふけつ)の配属の関係で夫婦は何度か日本と満州国を行き来しましたが、溥傑(ふけつ)が兄の皇帝・溥儀(ふぎ)を護衛する任務に就くため、1944年に学習院初等科に在籍した長女を残し、次女を連れて満州国の首都・新京に渡りました。
1945年8月6日、広島に原爆が投下され、8月9日に長崎へ原爆が投下されると日本の敗戦が決定的な状況となり、ソ連軍が日ソ不可侵条約を破って満州国に侵攻、満州国は崩壊しました。
夫婦は次女を連れて溥儀(ふぎ)の一族とともに直ちに新京を脱出しましたが、奉天飛行場で溥傑(ふけつ)と溥儀(ふぎ)がソ連軍に捕縛され、ハバロフスク収容所に連行されてしまいました。
残された女子供は中国共産党軍に捕らえられ、その監視下で逃避と流転の日々を続けました。
砲弾が飛び交う通化事件にも巻き込まれ、兵士が覆いかぶさり折り重なって一族を守るような修羅場となりました。
約1年半の逃避行のあと、1947年1月に上海で元軍人の日本人に救出されて引き揚げ船に乗り、浩(ひろ)と次女は日本へ奇跡の生還を果たすことができました。

溥傑(ふけつ)はその後、1950年に中華人民共和国の戦犯管理所に収容され連絡をとることもできませんでしたが、中国語を勉強した長女が中華人民共和国の国務院総理である周恩来に向けて「父に会いたい」と中国語で手紙を出したところ、感動した周恩来が文通を認め、手紙で連絡を取り合うことができるようになりました。

浩(ひろ)は子育てに専念していましたが、1957年12月、学習院大学の学生だった長女が伊豆半島の天城山で同級生の男子学生と拳銃で心中自殺をしてしまいました(この事件は1958年に「天城心中 天国に結ぶ恋」として映画化)。
ショックを受けた浩(ひろ)は、床に伏して起き上がれなくなってしまいました。

1960年12月、約15年間にも及ぶ収容所生活を終え、ようやく溥傑(ふけつ)は、釈放されました。
翌年5月、香港経由で中華人民共和国に入った浩(ひろ)と溥傑(ふけつ)は広州駅で約16年振りに再会。
そのとき二人は、言葉を発することもできず、ただ二人で肩を寄せ合って泣いたそうです。
浩(ひろ)は抱いてきた長女の遺骨を差し出すと、「申し訳ございません」と言って泣きました。

二人が再会したあとは、1987年6月に腎不全で浩(ひろ)が息を引き取るまでの27年間、北京で夫婦円満の時間を過ごしました。
溥傑(ふけつ)は浩(ひろ)が息を引き取ると、その亡骸に取りすがり「浩さん、浩さん」と声をあげ、身を震わせて泣いたそうです。

「相依為命(あいよっていのちをなす)」。
「お互いの幸福を願う気持ちがあれば生きていける」という意味で、溥傑(ふけつ)がよく口にした言葉です。
その言葉はまるで、激動の時代を生き抜いた溥傑(ふけつ)と浩(ひろ)のお互いを深く思いやり慈しみ合った、夫婦の心を映し出しているかのようです。

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